能楽 のみならず 日本の文化芸能は、そのかなりの部分を
流浪する さすらいの 芸能者達が 創り上げて来ました。
( 明治以前は、芸能者とは 何らかの形で 「神仏の担ひ手」として
表現活動を 為す人々の事でした。)
彼等は 様々な意味で、縄文文化を 継承する人々で在った
と云えるかも 知れません。
( より正確には、 その様な 表現と生き方を、客である
定住する人々も
理解出来、その表現を 歓んだ と云える。)
しかしながら、
能楽師・能面師等も、定住し ある程度 安定した生活を
する様に成って、
その 表現力・創造力・応用力を 失って行きました。
そして 明治の 愚かしい 「神仏分離」 以降、「いにしへの夜神楽」
は
どんどんと 民族から 失われて行くのです ..。
... その後(のち) 桂の御祓ひ
白木綿 (しらゆふ) かけて 川浪の
身は浮草の 寄辺 (よるべ) なき 心の水に誘われて
行方も鈴鹿川 八十瀬の波に 濡れ濡れず
伊勢まで 誰か思はむの ..。
(謡曲 「野宮」 作者不明)
この続編は また お楽しみに ..。
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: SHIGEZAWA